2012年5月23日水曜日

覚醒する百匹目のサル

俗に「衣食足りて礼節を知る」というが、正しくは、「倉廩実つれば則ち礼節を知り、衣食足れば則ち栄辱を知る」(管子・牧民)である。倉廩とは、米蔵や穀物蔵のことである。

すべてにおいてドラスチックなシナ人のエートスであるが、この古代人が喝破した真実をわれらの目の当たりにするようになってきたようだ。

以下のような記事を見た。

ここ半年ほど気がついていたのだが、北京の街の表情が以前と違ってきた。「以前」というのはわずか1年あるいは2年ほど前のことで、実はその変化は もうそれ以前から始まっていたのだろうが、わたしがうっかり見過ごしていたのか、それとも本当に全く気づかないところからじわじわと広がり、鈍感なわたし も気づき始めたのがここ半年ということなのかもしれない。

 その変化とは、北京に暮らす人たちの「公共意識」が急速に高まっている、ということだ。ここでいう「公共意識」とは、人々が見知らぬ多勢の人たち と社会空間をシェア、あるいは共有し合っていることをきちんと意識したうえで、どうすれば自分だけではなく他者も気持ちよく暮らせるかということを考え始 めた感があるのだ。日本なら公共マナーといわれるものかもしれないが、「マナー」以上の心がけのようなもの、それを人々が自発的に求め始めている。」(ふるまい・よしこ『脱皮を始めた都市住民たち』



ふるまい氏は、「フリーランスライター。北九州大学(現北九州市立大学)外国語学部中国学科卒。1987年から香港中文大学で広東語を学んだ後、雑誌編集者を経てライター に。現在は北京を中心に、主に文化、芸術、庶民生活、日常のニュース、インターネット事情などから、日本メディアが伝えない中国社会事情をリポート、解説 している。」(Newsweek プロファイル)

だそうだが、貴重な報告である。

具体的な例として、

「小さなことなのだが、商業ビルに入ろうとしたら前の人がドアを押さえて足を止めて待っていてくれる、あるいはドアを開けたにもかかわらず見ず知らずのわたし を先に通してくれる。道を渡ろうとしていたら、車が停まって道を譲ってくれる。立ち止まって狭い道を向こうから歩いてきた人に譲ったら「謝謝」とお礼を言 われる。またはその逆でお礼を言ったら笑顔が戻ってくる...」

などをあげておられる。ふるまい氏は、香港に18年、さらに北京に10年お住いということで、女性らしく肌身に感じたことをいきいきと記しておられる。

わたしが北京を最期におとずれたのは2000年であったから、ふるまい氏が北京に住まれる以前のことであろうか?今彼女が感じておられることを、わたしは しかしその当時に感じていたのだった。

シナ人諸君はなんて礼儀正しくなったのであろうか、と。

事というモノはいつでもどこでも相対的なのである。

わたしが比較していたのは、わたしの1985年の上海遊学時代の上海・北京と、その15年後の社会の変化であった。

つまりは、ふるまい氏が10年前の2002年当時感じておられたであろう、マナー欠如という風潮は、わたしにとってはすでにマナー改善と受け止めていたのであるから面白いものだ。

1989年のあの北京の学生デモ当時でも、市民の公共意識が向上し、道でぶつかった同士があやまりあっていた、ということを当時留学生で北京滞在中であった友人が、驚きとともにわたしに語ってくれたことがあった。



そういうことがあったので、わたし自身、 2000年の再訪時には意識して彼らの行いを観察していたのであった。

なぜなら鄧小平の経済改革の目標が、国民生活を2000年には小康 状態にする、というものであった。その小康状態ははたして実現したのか、実現したとするならばそれはどんな様相をしめしているのか?

たしかに、85年当時の惨めな衣食水準からは大きく改善された市民の暮らしがしみじみと感じられた。そのもっとも大きなものが、今ふるまい氏が指摘するような人々の余裕ある態度であった。

あれから12年、人々はより公共意識を高めているらしい。「シェルドレイクの仮説」にいう<百匹目のサル>はもう覚醒しているのかもしれない。

とするならば、と仮定するのはまるで根拠がないのではあるが、シナの変容は思いがけず早くやってくるのかもしれない。




註、「シェルドレイクの仮説」と「シナの変容」については、イザ版のフォルダ<シナの救済>と『シナにつける薬』のフォルダ<シナの変容>を参考にしていただけるとありがたい。









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